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ほつ太朗
京阪電気鉄道 1700系・1800系 三扉一般車化後
【実車解説】
ブログでは大変長々としてしまったため、こちらでは簡単な解説にしたいと思います。
京阪特急の歴史とともに1700系、1800系の歴史をお勉強されたい方はご面倒でございますが当方ブログ「僕とBトレの365日」の記事をごらんくださいませ。
1951年、京阪としては戦後初の新型特急車として、また最後の吊掛け駆動車として、そして初の固形編成且つ「形式」という概念をもった車両として、1700系特急型電車が誕生しました。
本系列の運転台寄り妻面付近で屋根の雨樋を一段低く下げるデザインは、以降1810系までの特急車や当時車体更新を進めていた500型にまで普及し、1950年代の京阪を象徴するデザインとなりました。
そしてそのデザインを受け継ぎ、日本初のカ実用高性能車としてカルダン駆動、WN方式を採用し、「和製PCCカー」とも称されたのが1800系です。
両形式は時の特急車として時には手を繋ぎ京阪本線を駆け抜けましたがその活躍は短く、1700系は1810系に、1800系は淀屋橋延伸に伴い誕生した1900系に特急運用を追われロングシート化(臨時特急対応のため塗装は特急色)、臨時特急への充当の見込みがなくなると1966~67年には三扉改造と一般色化が実施され、以降はひたすらに通勤電車として活躍しました。
一般車化後も手を繋ぎ急行以下の種別に充当されましたが、1800系は1982年に、1700系は昇圧直前の1983年に全車が引退しました。
【Bトレとして復活した名脇役】
今回のモデルは1900系特急車に合わせ、1970年代初頭としました。
編成は以下の通りです。
←京都・三条 大阪・淀屋橋→
1758-1788-1752-1702+1882-1881-1809
運転台を撤去した1700系4連に京都方に1800系3両を増結した本線用7連です。
この編成でポイントとなるのは
・1700系の運転台撤去再現
・1800系Mcは増結車である
・1810系からの格下げ車2両が入る
ところですね。
なお、実際に記録のある編成でないことは事前にご了承くださいませ。
この編成を選んだ理由は以下の通りです。
・1700系側、1800系側でそれぞれの編成記録は実在している点
・実際に近い組成をされた写真を見たことがある点
・ドンピシャの時代の記録がない点
1700系、1800系は編成ごとでは固定だったものの、実際に長編成を組む際にはさまざまなバリエーションを見せていたことも魅力です。
これもまた模型の楽しみのひとつですから、今回は想定の中での編成にしています。
それでは以下は形式の登場順により、編成ものは京都方から各車の解説に入ります。
Ⅰ,1700系グループ
今回の編成の大阪方に連結されます。
一番大阪方には制御車がきますのでパンタグラフがないのが編成の特徴です。
4両編成の中で編成中央の2両は運転台撤去工事を実施しています。
☆Tc1758
1900系のときとは違い、このゴツイ顔にパンタなしというのが特徴です。
パンタやその周辺の配管がないため、大きな前照灯と無線アンテナが目立ちますね。
すっきりした屋根上とは変わり、前面下部にはジャンパ栓を収納する箱とエアーホースがあり、そのギャップにも魅力を感じざるを得ません。
この顔は2回目の制作となりますが、1900系のときよりも標識灯の配置や、窓の位置が実車に近づいた気がします(笑)
☆Mo1788
運転台が撤去され、スッキリした…というかのっべらぼうになっています。
パンタ周りの配管は、登場時に比べ大変騒がしいものに改造され、まだパイピング慣れしていない私には厳しい作業でした(滝汗)
本車両は運転台を撤去する前はMc1708を名乗ってましたが、中間車化がなされた際に他系列の中間車の付番に合わせて80番台に改番されました。
☆To1752
こちらは付随車と化した元制御車ですね。
屋根上、前面ともにスッキリしすぎていて寂しさすら感じます。
なお他系列の付随車も50番台を名乗っていたため改番はされていません。
前照灯、標識灯、前面車番などの前面機器に加え、側面では乗務員室扉横の手摺や把手の撤去をしています。
☆Mc1702
1700系の京都方先頭を務めるのは制御電動車になります。
運転台撤去車とは異なり、騒がしい配管にさらに前照灯や無線アンテナを設置しているため屋根上が大変に大変に騒がしくなっています(笑)
1700系は前照灯が通常の円柱型のため、土台も含めると他系列よりもゴツイ印象を受けますね。
Ⅱ,1800系グループ
a,純正1800系
☆Mc1809
この編成の最も京都方に連結するのは丸妻、丸屋根が特徴のこの車両です。
1800系には多客対応の増結車が4両製造されており、その中で唯一の京都向き車両です。
増結車の特徴は妻面の丸妻・丸屋根です。
今回も前作Mc1914と同じく、1900系セットの中間車用についてくる(?)丸妻パーツを使用し、屋根は丸屋根を切り継いで制作しています。
前作では丸妻の妻面窓は資料がなかったため他車と同じ段付きタイプと一枚窓タイプを1枚ずつ取り付けましたが、1800系については特急時代の妻面の写真があったため、今回はその写真に基づいた両側共に一枚窓としてみました。
実際に一般車改造後も仕様は変わらなかったのか、それとも変わっていたのか、まさに真実は闇の中…というわけです。。。
b,1810系格下げ編入グループ
このグループは1800系の後継車で18m級車体バージョンである1810系の付随車として生まれ、仲間たちが1900系に編入される中、空気ばね台車を装備していなかったために1800系に格下げ編入された2両の悲運の車両たちです。
両車は1963年に2扉・特急色のままロングシート化とテレビ撤去され、1966年には3扉・一般色化が行なわれましたが、増設した扉は片開きでした。
なおこの3扉化の際に1900系電動車 1985・1986の電気機器を用いて中間電動車化され1871・1872に改番されましたが、1967年には1881・1882に再改番されています。
なお、この際に付番された両番号はそれぞれ2代目となっています。
両車は同じ1810系として生まれましたが、登場時から異なる形態を持ち、最後まで種車の面影を残していました。
☆M1881
18m級の切妻形状で登場した同車は、登場時は付随車で座席は全席クロスシートだったため妻面窓は天地方向が狭いタイプでした。
1810系が1900系に編入されるまでは金属ばね台車を履いたまま特急運用に混ぜられていましたが、編入の選に漏れ、以降は1800系の仲間として運用されるようになりました。
1900系(1810系編入車含む)のロングシート化の際は、妻面窓の天地方向が短いもの(付随車)は一般的な大きさ(下辺を250mm下げ)に変更されましたが、同車は変更されることなく「オールクロスシートの特急車」の姿を残していました。
当時の京阪電車は時間帯や需要により編成の長さを加減していましたが、1700系・1800系で採用された広幅貫通扉は運用の自由度に制限ができてしまうため、1810系は一般的な狭幅タイプに戻されました。
同車も系列のルールに基づき狭幅だったため、編成同士の中間に挟まれたり、1800系増結車の次位に連結され運用していました。
☆M1882
1881と同じく18m級切妻仕様の付随車1887号車として登場していますが、こちらは1810系列で唯一の広幅両開き貫通扉という仕様でした。
前項で1810系は運用の自由度を広げるということから狭幅貫通扉に変更されたと書きましたが、同車は1800系の1801-1802の編成の中間車として製造されたため、このような唯一無二のかたちとなりました。
しかし1700系、1800系列内であれば編成の自由さを誇った両車の仲間でありながら、この車両のみは1801-1802の編成の中間にしか組み込めないということから稼働率は低くなってしまっていました。
1962~1963年、1810系の1900系編入が行われた際には、後の1881と共に選に漏れ1800系に格下げ、時には同じ広幅貫通扉を持つ1700系の中間に挿入されていました。
その後2扉のまま1852号車に改番されましたが、使いづらさは払拭されず稼働率は低いままでした。
1966年、1900系 M1985・M1986をT車化して(前作1900系も記事も参照)捻出した主電動機を移設し電装、M車化、さらに同時に三扉改造と問題の貫通扉の狭幅化を実施し、1972に改番されました。
以降は1700系・1800系の長編成化には欠かせない車両となり活躍、改番から1年後には、1900系新造車の付番ルールに従い最終的な車番となる1882に改番されました。
同車もまた1881が妻面窓の改造がなされなかったのと同じように、オールクロスシート時代のまま天地方向に狭く、また広幅貫通扉時代のままの狭幅窓という極小窓仕様となっていたことが特徴で、2両のみの18m級車体車は2種のバリエーションをもつ、それぞれが唯一無二の存在になりました。
時の新型特急車として生まれ、しかし運命に恵まれなかった2両は、半世紀のときを経て模型映えする2両として復活を果たしました。
■1700系と1800系の違い
一見そっくりな両車、しかし実は違っているんです。
Bトレでも再現できた見分けポイント…まず1つ目は前照灯です。
1700系では一般的な形ともいえる円柱型の前照灯ですが、1800系では砲弾型になっています。
Bトレでは前照灯、無線アンテナ、パンタグラフと、狭い面積にたくさんの機器を載せなければならないため、1700系は特にいっぱいいっぱいですね。
逆に前照灯台座がない分1800系では少しばかりすっきりした印象を持ちます。
個人的には1700系のごちゃごちゃ感は好きです(笑)
2つ目はベンチレーターです。
1800系では1900系でも使用したメッシュがあるタイプのものと同じでしたが、1700系はメッシュがないタイプだったため、他車のパーツを改造し取り付けています。
この写真を見ると屋根にもたくさんのバリエーションがあることがわかりますね。
■1700系・1800系をBトレ化する上での解釈
今回制作した時代の1700系、1800系の大きな特徴はやはり両開き扉でしょう。
今回のショーティー解釈はその両開き扉を入れる、つまり運転台から中央の扉とその戸袋窓にお尻の窓を繋ぐものにしました。
両開き扉の両サイドは戸袋となるわけですが、この部分の窓は扉ともかぶりますので埋められていたのが特徴です。
しかしここで1つも矛盾が発生します。 それは社紋の配置についてです。
京阪の車両には海川共に、車体を真正面からみた左側の扉の左下に社紋を配置してあります。
つまり今回のショーティー解釈では片面は両開き扉の左下となってしまいます。
ですが両開き扉の両サイドは窓が埋まっているため、窓のない下に社紋があることになってしまいます。
社紋があるのは窓の下でもあるため、ここに違和感を感じたのです。
そこで今回は両開き扉の左横には社紋を配置しないことにしました。
これについて、共に京阪に取り組んだメンバー・たくっち氏からは賛同を得るとともに興味深い見解を示してくれました。
「Bトレは社紋と車番については矛盾が生じることを許容しているんです。小田急一般車は一つの窓の下に社紋と車番が同時に存在しているんです。でも実車はそうでない。ユーザーによっては車番のみを選ぶ人もいるけれど、バンダイや鉄道会社自体は両方をいれる解釈をしているんだ。」
なるほど、つまり両開き扉の左横に社紋を配置しても解釈上の「間違え」にはならないのですね。
つい頭を固く、こういうものだど考えてしまっていましたが、よく考えれば面白い話を聞いたものだと感じました。
どこかを省略しなければならないBトレでは、場合によっては矛盾を矛盾としないこともアリなのだと改めて考えますね。
こうしてもう一度モデルをみると、どちらがよかったのかなぁと思うものです。
余談ですが、今一度こういった基礎的なことを指摘してくれる仲間がいるというのは大変にありがたいものだと日々痛感させられますね。
■妻面のバリエーション
今作で最も特徴が出るのは妻面でしょうか。
1700系の幅広両開き扉、1800系増結車の狭幅、1881号車のオールクロスシート車仕様妻窓、1882号車の極小窓、全て1900系セットに入っていた妻面から作っています。
一番目立たない点だからこそ作る、だからこそ実車が伝えられるものだと思って頑張りました。
おかげ様でどの車もお気に入りです。
バリエーションの話からは逸れてしまいますが…
1900系を制作した際に1810系から編入したグループについては妻面の上辺に屋根のカーブに沿った雨樋があることが確認できたため再現をしました。
そこで1700系や1800系について調べてみると登場時は同様のものがあることが確認できましたが、一般車化後の写真を見ると明らかに無くなっています。
光の加減なのか…とも考えましたが、曇りの日の写真でも確認できませんでしたし、そもそも晴れの日であれば角度によっては雨樋の影が確認できるはずでした。
「今回は雨樋がないじゃないかー!」のお声を頂く前に念のため(笑)
こういった改造も京阪らしいですね。
■セクシーだけど困った配管
今回の編成の中では電動車は各型式にそれぞれありますので、それぞれの配管を調査しパイピングするという恐ろしい工程がございました。
1700系に関しては屋根を真上から写した写真がありましたが、そのほかの車両は側面から判断するしかありませんでした。
1700系は登場時と比べて大変に大変なことになっていることが判明(涙)、1800系はほぼほぼ(完全に?)1700系と共通となっているようでした。
屋根上機器配置の変更について明確な記述はありませんが、1900系が一般車改造の際に変更していることから、1700系、1800系も一般車(三扉)化の際に変更したと仮設がたち、ならば以降共通で使用する車両なら出来る限り共通の仕様にすると考えました。
さて、この仮説は正しいのでしょうか…?(笑)
1810系格下げ車に関しては1900系の3扉化後の一部の車両と一部分が同じようになっていることがわかりました。
この配管についてもわかる範囲についてはそのまま表現し、残りの部分は1900系を参考に予測しての制作となってしまいました。
それにしても1700系、1800系の3本並走部分は難しかったです。
毎度毎度目も当てられないような出来ですが、いつかうまくなることを夢見て頑張ります。。。
■Mc1809とM1882の関係
さて、最後に二股を掛けた罪深い1801-1802のお話をしたいと思います(笑)
1800系では4両の増結車がつくられましたが、各車ともに名義上のペアがありました。
実際に増結する際には必ずともこのペアの法則が成り立つわけではありませんが、1801-1802の編成には唯一の京都方増結用として誕生した1809号車がペアとして製造されています。
しかしこの編成は後にもう一両のペアを作ります。
それが後の1882号車となる1884号車でした。
なぜ車長も違い、さらにいったん編成をバラさなければ連結できない増結車を作ったのか、その理由は歴史の闇の中といったところなのでしょうが、その答えを実に知りたいものです。
この2両は後に一般車改造され、今回制作の編成のように重複する形で製造された車両同士で手を繋ぎ快走するシーンがあったそうです。
JTBパブリッシング「京阪電車」では『運命の悪戯』と述べられていますが、まさにその通りですね。
今回はそんな「運命の悪戯」を再現できる編成にしました。